恵方巻の起源を裁判例から探るという、どうでもいい話しです。
節分といえば恵方巻
2月3日は、節分です。節分というと、豆まきです。それと並んで、恵方巻を食べる日です。物心ついたときから、節分の日に恵方巻を食べてたので、全国的な風習だと思ってました。ここ何年か、全国的に取り上げられるようになり、関西限定の風習だったんだということを知りました。
恵方巻の起源は?
そんな恵方巻ですが、古くからある風習ではなく、販促活動の一環で生まれた風習です。その起源について、裁判所がこんな認定をしているので、紹介します(大阪地裁平成20年10月2日判決・判例タイムズ1321号203頁)。
判決によると、期限は、定かではないが、節分の日に「その年の恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其年は幸運に恵まれる」という言い伝えはあったそうです。そして、遅くとも昭和7年頃、大阪の一部地域(大阪船場が発祥?)において、節分に恵方を向いて巻きずしを丸かぶりする風習が行われるようになったそうです。大阪鮓商組合後援会が、当時既に、節分に恵方を向いて巻きずしを丸かぶりすることを勧める宣伝ビラを配っていたようです。
その後、昭和52年頃、大阪海苔問屋協同組合が「幸運巻すし」と銘打って節分に巻きずしを丸かぶりすることを勧める宣伝活動を始め、また、関西厚焼工業組合も同じころから広範囲で同様の宣伝活動を行うようになり、昭和62年ころには、関西地方のみならず、岐阜、浜松、金沢、新潟等の各都市や九州地方にまで上記同様の宣伝ビラを送付していたとのこと。
一般に言われる起源とされる海苔問屋がここで登場します。その後、スーパーマーケットなどでも宣伝を行うようになり、節分に恵方を向いて巻きずしを 食する風習が関西地方を中心に次第に広い地域に広がっていったそうです。
恵方巻って
裁判所の認定によると、当初から恵方巻という言葉は使われてなかったようです。「幸運巻寿司」とか「幸運巻きすし」と呼ばれていたようです。では、恵方巻と呼ぶようになったのは、いつ頃なんでしょうか?
判決によると、平成16年・17年に一部、スーパーで恵方巻という言葉が用いられ、平成19年頃から節分に食べる巻きずしの一般名として恵方巻という言葉が使われるようになったみたいですね。
そもそも、何の裁判だったの?
ちなみに、紹介した大阪地裁の判決は、「招福巻」という商標を持っている原告が、「十二単の招福巻」という商品を販売していた被告に標章の差止めと損害賠償を求めた事件です。
「招福巻」が、普通名称を普通に用いられる方法で表示する商標に該当するものとして、本件商標の商標権の効力が及ばないと大阪高裁で判断され、確定しています。