ハーグ条約に基づく子の引渡しに関する最高裁判決を紹介します。
最高裁平成30年3月15日判決
アメリカに居住する上告人が、上告人の妻で日本に居住する被上告人によって、上告人と被上告人との間の二男である被拘束者が、法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束されていると主張し、人身保護法に基づき、被拘束者を釈放することを求めた事案です。
事案の概要
上告人と被上告人は、いずれも日本国籍を有する者で、平成6年に日本において婚姻し、長男(平成8年生まれ)及び長女(平成10年生まれ)をもうけた後、平成14年頃に家族4人で米国に移住した。
被拘束者は、平成16年に米国で出生し、戸籍法104条1項所定の日本国籍を留保する旨の届出がされたことにより、米国籍と日本国籍との重国籍となっている。
上告人と被上告人の関係は、平成20年頃から悪化した。被上告人は、平成28年1月12日頃、上告人の同意を得ることなく、被拘束者(当時11歳3箇月)を連れて日本に入国し、その後現在に至るまで、a市内で被拘束者と共に暮らし、被拘束者を監護している。
上告人は、平成28年7月、国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律26条に基づき、被上告人に対し、米国に被拘束者を返還することを命ずるよう東京家庭裁判所に申し立てた。同裁判所は、同年9月、被上告人に対し、米国に被拘束者を返還することを命ずる旨の終局決定をし、本件返還決定は、その後確定した。
上告人は、本件返還決定に基づき、東京家庭裁判所に子の返還の代替執行の申立て(実施法137条)をし、子の返還を実施させる決定(実施法134条1項、138条)を得た。
執行官は、平成29年5月8日、被上告人の住居において、実施法140条1項に規定する被上告人による子の監護を解くために必要な行為をした。被上告人は、本件解放実施の際、執行官による再三の説得にもかかわらず玄関の戸を開けることを拒否したため、執行官は、2階の窓を解錠して立ち入ることとなった。その後も、被上告人は、被拘束者と同じ布団に入り身体を密着させるなどして、本件解放実施に激しく抵抗した。また、被拘束者も、米国に帰ることを促す執行官に対し、このまま日本にいることを希望し、米国には行きたくない旨を述べて、これを拒絶した。執行官は、子の監護を解くことができないとして、本件解放実施に係る事件を終了させた(国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約の実施に関する法律による子の返還に関する事件の手続等に関する規則89条2号)。
上告人は、米国カリフォルニア州上位裁判所に、被上告人との離婚を求める訴えを提起するとともに、被拘束者についての監護等に関する命令を求めたところ、同裁判所は、平成29年8月15日までに、上告人が被拘束者についての監護を単独で行うものとすることなどを内容とする命令をした。
被拘束者は、平成29年9月27日及び同年10月6日、被拘束者代理人と面談し、その際、日本にいることを希望する旨の意思の表明が被上告人の圧力によるものであるかのように受け取られることは非常に不満である、自己の意思により日本での生活を希望していることを強く主張したいなどと述べた。また、被拘束者は、上記のとおり希望している理由として、ようやく日本での生活に慣れてきたのに米国に戻って生活するのは大変である、飲酒した上告人から、暴言を吐かれたり、けがをする程度のものではなかったものの暴力を受けたりしたことがあり、来日して上告人と離れたことで安心した面もあるなどと述べた。なお、被拘束者は、本件返還決定に関する実施法に基づく手続や米国カリフォルニア州上位裁判所における被拘束者の監護権等に関する手続などについて、一部誤解していたところもあったが、被拘束者代理人の説明を受けて正しく理解した。
被上告人は、現在、薬剤師として勤務する傍ら、食事の支度など被拘束者の身の回りの世話をしている。被拘束者は、来日後、a市内の小学校に通い、平成29年4月に同市内の中学校に進学した。被拘束者は、勉学や部活動に励み、友人や教員との人間関係も良好で、家庭においても、被上告人と親和し、兄、姉及び他の親族とも交流を持っている。また、被拘束者は、現在、日本語による意思疎通に問題はなく、年齢相応に筋道を立てて会話をすることができる。
原審の判断
被拘束者は、現在、日本での生活環境になじみ、良好な人間関係を構築して充実した学校生活を送っており、家庭内においても被上告人と親和して、情緒も安定し、年齢相応に発達を遂げて健やかに成育しているものと見受けられ、また、その判断能力が欠けているなどといった事情はうかがわれない。これらのことなどを考え合わせると、被拘束者は、自己の真意を曲げて日本にいることを希望する旨の意思を表明したとは解されず、自由な意思に基づいて当該意思を表明したというべきである。よって、被上告人の被拘束者に対する監護が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当するとは認められず、また、上告人の本件請求は、被拘束者の自由に表示した意思に反するというべきである。
被上告人の被拘束者に対する監護状況、被拘束者の年齢及び意向などを考慮すると、被上告人の被拘束者に対する監護が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当するとしても、その違法性が顕著であるとは解されず、本件返還決定が確定していることは、本件の帰すうに影響しない。
最高裁の判断
意思能力がある子の監護について、当該子が自由意思に基づいて監護者の下にとどまっているとはいえない特段の事情のあるときは、上記監護者の当該子に対する監護は、人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきである。本件のように、子を監護する父母の一方により国境を越えて日本への連れ去りをされた子が、当該連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合、当該意思決定は、自身が将来いずれの国を本拠として生活していくのかという問題と関わるほか、重国籍の子にあっては将来いずれの国籍を選択することになるのかという問題とも関わり得るものであることに照らすと、当該子にとって重大かつ困難なものというべきである。また、上記のような連れ去りがされる場合には、一般的に、父母の間に深刻な感情的対立があると考えられる上、当該子と居住国を異にする他方の親との接触が著しく困難になり、当該子が連れ去り前とは異なる言語、文化環境等での生活を余儀なくされることからすると、当該子は、上記の意思決定をするために必要とされる情報を偏りなく得るのが困難な状況に置かれることが少なくないといえる。これらの点を考慮すると、当該子による意思決定がその自由意思に基づくものといえるか否かを判断するに当たっては、基本的に、当該子が上記の意思決定の重大性や困難性に鑑みて必要とされる多面的、客観的な情報を十分に取得している状況にあるか否か、連れ去りをした親が当該子に対して不当な心理的影響を及ぼしていないかなどといった点を慎重に検討すべきである。
これを本件についてみると、被拘束者は、現在13歳で、意思能力を有していると認められる。しかしながら、被拘束者は、出生してから来日するまで米国で過ごしており、日本に生活の基盤を有していなかったところ、上記のような問題につき必ずしも十分な判断能力を有していたとはいえない11歳3箇月の時に来日し、その後、上告人との間で意思疎通を行う機会を十分に有していたこともうかがわれず、来日以来、被上告人に大きく依存して生活せざるを得ない状況にあるといえる。そして、上記のような状況の下で被上告人は、本件返還決定が確定したにもかかわらず、被拘束者を米国に返還しない態度を示し、本件返還決定に基づく子の返還の代替執行に際しても、被拘束者の面前で本件解放実施に激しく抵抗するなどしている。これらの事情に鑑みると、被拘束者は、本件返還決定やこれに基づく子の返還の代替執行の意義、本件返還決定に従って米国に返還された後の自身の生活等に関する情報を含め、被上告人の下にとどまるか否かについての意思決定をするために必要とされる多面的、客観的な情報を十分に得ることが困難な状況に置かれており、また、当該意思決定に際し、被上告人は、被拘束者に対して不当な心理的影響を及ぼしているといわざるを得ない。
以上によれば、被拘束者が自由意思に基づいて被上告人の下にとどまっているとはいえない特段の事情があり、被上告人の被拘束者に対する監護は、人身保護法及び同規則にいう拘束に当たるというべきである。また、上記説示に照らすと、本件請求は、被拘束者の自由に表示した意思に反してされたもの(人身保護規則5条)とは認められない。
国境を越えて日本への連れ去りをされた子の釈放を求める人身保護請求において、実施法に基づき、拘束者に対して当該子を常居所地国に返還することを命ずる旨の終局決定が確定したにもかかわらず、拘束者がこれに従わないまま当該子を監護することにより拘束している場合には、その監護を解くことが著しく不当であると認められるような特段の事情のない限り、拘束者による当該子に対する拘束に顕著な違法性があるというべきである。
これを本件についてみると、被上告人は、本件返還決定に基づいて子の返還の代替執行の手続がされたにもかかわらずこれに抵抗し、本件返還決定に従わないまま被拘束者を監護していることが明らかである。他方で、米国への返還のために被上告人の被拘束者に対する監護を解くことが著しく不当であることをうかがわせる事情は認められない。したがって、被上告人による被拘束者に対する拘束には、顕著な違法性がある。