ハーグ条約に基づく子の引渡しに関する最高裁判決

原審の判断

 被拘束者は,現在,日本での生活環境になじみ,良好な人間関係を構築して充実した学校生活を送っており,家庭内においても被上告人と親和して,情緒も安定し,年齢相応に発達を遂げて健やかに成育しているものと見受けられ,また,その判断能力が欠けているなどといった事情はうかがわれない。これらのことなどを考え合わせると,被拘束者は,自己の真意を曲げて日本にいることを希望する旨の意思を表明したとは解されず,自由な意思に基づいて当該意思を表明したというべきである。よって,被上告人の被拘束者に対する監護が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当するとは認められず,また,上告人の本件請求は,被拘束者の自由に表示した意思に反するというべきである。

 被上告人の被拘束者に対する監護状況,被拘束者の年齢及び意向などを考慮すると,被上告人の被拘束者に対する監護が人身保護法及び同規則にいう拘束に該当するとしても,その違法性が顕著であるとは解されず,本件返還決定が確定していることは,本件の帰すうに影響しない。

最高裁の判断

 意思能力がある子の監護について,当該子が自由意思に基づいて監護者の下にとどまっているとはいえない特段の事情のあるときは,上記監護者の当該子に対する監護は,人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきである。本件のように,子を監護する父母の一方により国境を越えて日本への連れ去りをされた子が,当該連れ去りをした親の下にとどまるか否かについての意思決定をする場合,当該意思決定は,自身が将来いずれの国を本拠として生活していくのかという問題と関わるほか,重国籍の子にあっては将来いずれの国籍を選択することになるのかという問題とも関わり得るものであることに照らすと,当該子にとって重大かつ困難なものというべきである。また,上記のような連れ去りがされる場合には,一般的に,父母の間に深刻な感情的対立があると考えられる上,当該子と居住国を異にする他方の親との接触が著しく困難になり,当該子が連れ去り前とは異なる言語,文化環境等での生活を余儀なくされることからすると,当該子は,上記の意思決定をするために必要とされる情報を偏りなく得るのが困難な状況に置かれることが少なくないといえる。これらの点を考慮すると,当該子による意思決定がその自由意思に基づくものといえるか否かを判断するに当たっては,基本的に,当該子が上記の意思決定の重大性や困難性に鑑みて必要とされる多面的,客観的な情報を十分に取得している状況にあるか否か,連れ去りをした親が当該子に対して不当な心理的影響を及ぼしていないかなどといった点を慎重に検討すべきである。
これを本件についてみると,被拘束者は,現在13歳で,意思能力を有していると認められる。しかしながら,被拘束者は,出生してから来日するまで米国で過ごしており,日本に生活の基盤を有していなかったところ,上記のような問題につき必ずしも十分な判断能力を有していたとはいえない11歳3箇月の時に来日し,その後,上告人との間で意思疎通を行う機会を十分に有していたこともうかがわれず,来日以来,被上告人に大きく依存して生活せざるを得ない状況にあるといえる。そして,上記のような状況の下で被上告人は,本件返還決定が確定したにもかかわらず,被拘束者を米国に返還しない態度を示し,本件返還決定に基づく子の返還の代替執行に際しても,被拘束者の面前で本件解放実施に激しく抵抗するなどしている。これらの事情に鑑みると,被拘束者は,本件返還決定やこれに基づく子の返還の代替執行の意義,本件返還決定に従って米国に返還された後の自身の生活等に関する情報を含め,被上告人の下にとどまるか否かについての意思決定をするために必要とされる多面的,客観的な情報を十分に得ることが困難な状況に置かれており,また,当該意思決定に際し,被上告人は,被拘束者に対して不当な心理的影響を及ぼしているといわざるを得ない。
以上によれば,被拘束者が自由意思に基づいて被上告人の下にとどまっているとはいえない特段の事情があり,被上告人の被拘束者に対する監護は,人身保護法及び同規則にいう拘束に当たるというべきである。また,上記説示に照らすと,本件請求は,被拘束者の自由に表示した意思に反してされたもの(人身保護規則5条)とは認められない。

 国境を越えて日本への連れ去りをされた子の釈放を求める人身保護請求において,実施法に基づき,拘束者に対して当該子を常居所地国に返還することを命ずる旨の終局決定が確定したにもかかわらず,拘束者がこれに従わないまま当該子を監護することにより拘束している場合には,その監護を解くことが著しく不当であると認められるような特段の事情のない限り,拘束者による当該子に対する拘束に顕著な違法性があるというべきである。
これを本件についてみると,被上告人は,本件返還決定に基づいて子の返還の代替執行の手続がされたにもかかわらずこれに抵抗し,本件返還決定に従わないまま被拘束者を監護していることが明らかである。他方で,米国への返還のために被上告人の被拘束者に対する監護を解くことが著しく不当であることをうかがわせる事情は認められない。したがって,被上告人による被拘束者に対する拘束には,顕著な違法性がある。